うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

原節子さんのこと

昭和を代表する映画女優原節子さんが9月5日に肺炎のため、95歳で亡くなっていたというニュースが流れました。
公表を遅らせたのは、「騒ぎにならないように、亡くなったことを公にするのは死後3か月経ってからにしてほしい」という原さんの意志によるものとか。
42歳で女優を引退、その後一切表舞台に出ることのなかった方らしい気遣いだなと思います。

「まだまだできるのに」と惜しまれながらも、きっぱりと第一線を退き、その後は公に姿を見せることはなかったので、原節子のイメージはいつまでも映画の中の美しい姿のまま、決して年をとることはありません。
過去を大切にしながら、しかし決してそこにしがみつくことなく潔く引く。
一つの見事な生き様で、あっぱれだと思います。

映画が銀幕と呼ばれ、スターと呼ばれる人がいた頃の、最後の女優さんだと思っていたので、今回の訃報を聞いてとても寂しいです…。

原節子といえば、なんといっても小津安二郎監督ですね。
「晩春」では父を一人残していくことが気がかりで、婚期を逃しつつある娘を。
東京物語」では、戦争に出征して亡くなった夫を思い、過去の思い出を大切に抱えながら生きる女性を。
「子どもは親の面倒をみるもの」「妻は夫に尽くすもの」という、過去の遺物になりつつある日本人的な美意識に殉じて日々を過ごす、淑やかで上品な女性を、あの日本人離れしたくっきりした美貌で印象深く演じていました。
小津さんの抑えた演出が効いていて、見終わったあとからじわじわとくる、素晴らしい作品です。

個人的には成瀬巳喜男監督の作品の原節子が好きです。
「めし」では結婚して5年。子どもはおらず、倦怠期を迎えて、ちっとも自分に関心を向けてくれなくなった夫にいらだち、もやもやと思案にくれる妻。
炊事に使う七輪を見つめながら、洗い物をしながら、など家事をこなしながら物思いにふける原節子の姿がとても美しいのです。

「驟雨」では、いまいち覇気がなくうだつのあがらない夫にいらいらし、喝をいれる妻。
買い物かごを提げて、近所に引っ越してきたばかりの年の近い奥さんと連れ立って商店街を歩き、「あそこのお店は高いのに品がよくないからやめたほうがいいわよ」などとアドバイスしたりする、とっても庶民的な奥さん姿が生き生きしていて素敵。

でも、個人的にもっとも好きなのは、「山の音」です。
川端康成の小説が原作で、この映画で原節子は、夫(上原謙)の浮気に密かに心傷つき、舅(山村聰)とお互いに心惹かれながらも、夫との間に出来た子をひっそりと堕して離婚し、新しい道を歩くことを選ぶ、芯の強い女性を演じています。
あらすじだけ書くと、かなり衝撃的ですが、原節子演じる菊子は、これらのことを自分の胸ひとつに収めて、表面は穏やかに、すべてひっそりと進めていきます。

菊子が鼻血を出して狼狽する場面があるんですが、このシーンの原節子の色っぽいこと。
また、舅役の山村聰と交わす目線や表情だけでのやりとりも、なんともいえない色気があって、すごく素敵なんです。
台詞がなくても、表情や仕草、佇まいにとてもいろんなものが滲んでいて、静かで穏やかなんですが、なかにものすごく熱いものを秘めている女性を見事に生きています。

そしてラストシーン。
冬枯れの並木道を舅と歩きながら、会話を交わすんですが、この場面がとても美しいのです。
菊子は夫と離婚したので、舅とはこれきりもう会うことはない。
二人の別れの場面。
コートを着てすっと立つ二人の後ろに、きっちりと並ぶ木々。
画面全体に死や老い、喪失のイメージが濃密に詰まっていて、本当に美しいシーンです。

亡くなられたのはとても残念ですが、これを機に、これまで昔の日本映画を見たことのなかった人たちが、女優・原節子の素晴らしさに触れてくれるといいなぁと思います。

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