うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

Cinema:牡蠣工場

想田和弘監督の観察映画 第6弾「牡蠣工場(かきこうば)」を見てきました。
日本のエーゲ海」といわれる和歌山の牛窓
牡蠣を養殖し剝き身にして出荷する、牡蠣工場で働く人の日々に密着したドキュメンタリーです。

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ナレーションなし、テロップなし、音楽なし。
ひたすら映像だけが流れていくなかで見えてくるのは、過疎、農業や漁業など田舎を支える一次産業の後継者不足、人手不足を補うために雇われる中国人労働者…と、日本の様々なところで発生している問題たち。
さらに映像に登場する渡邉さんをとおして、東日本大震災原発事故による放射能の問題があぶり出されていました。

カメラがときに暴力的に感じられるほど貪欲に被写体を追うので映像酔いをしてしまい、どうしても観続けることができなくて40分くらい残して出てきてしまいました。
とても興味深い映画ではあったのですが、撮影されている人たちも「カメラが近い!!」という本音をぽろっともらしていたり、そもそもカメラで撮られるということを嫌がるそぶりを見せている人もいました。
そもそも、「見つめる」「観察する」という行為そのものが、とても暴力性をはらんだものなのだと、しみじみ思いました。

くしくも出てきてしまったのは、中国から労働者を二人、工場に迎え入れるという前日。
工場の経営者が「中国から来る人が気分を害すると悪いから、今日でもう撮影はおしまいにして切り上げてくれ」という場面でした。
受け入れた中国人労働者がうまく溶け込むことができず、牡蠣工場の経営者と日本人従業員を殺害するという事件が広島で起きているのですが、その話もされていました。
「広島では殺人も起きているから、慎重にしたい」と。

そのあとの展開を見ていないのでなんとも言えませんが、カレンダーに中国人労働者を迎え入れる予定を「中国来る」と書き込んでいたり、中国人労働者のことを「ちゃいな」と呼んでいたり、「中国人は物を全部勝手に持っていってしまう。日本人と違って常識がない」という発言をする人がいたり、ちょこちょこと中国人労働者に対する偏見や蔑視しているのが伺えるものが映し出されていて、異なる文化や価値観の人を迎え入れて一緒に働くことの困難さがにじんでいました。
実際、迎え入れてからの日々こそが、このドキュメンタリーの肝だと思うので、観られなくて本当に残念…。

スクリーンに映し出される瀬戸内の海の光景を見ながら思い出していたのは、両親の故郷、新潟・長岡。
両親の実家はともに稲作農家でしたが、継いでいるのは母方の叔父のみ。
周りのお家も高齢化と後継者不足に悩んでいて、跡継ぎがいない田んぼは叔父が借り受ける形で、代わりに稲を育てていたりする状況が重なります。

大変なのに報われない…。
うちの両親も「農家はもうからない。貧乏するのは嫌」といって東京に出てきているので複雑なのですが、人の命をつなぐ食べ物を作っている人たちがこんな状況に置かれていることに、やるせない気持ちになります。


この「牡蠣工場」を撮影する想田監督を逆観察した書籍。

観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること

観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること


★Information
牡蠣工場
(2015年、日本・アメリカ)