うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

Cinema:ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏

世界のバレエ団の最高峰、ロシアのボリショイ・バレエ団のドキュメンタリー。

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中心となるのは、2013年に芸術監督のセルゲイ・フィーリンが何者かに顔に硫酸をかけられるという事件が起き、バレエ団のソリストが犯人として逮捕されるというスキャンダル。

ロシア政府は新しい総裁ウラジミール・ウーリンを送り込み、バレエ団の立て直しを図ります。
そこに痛ましい事件の後遺症から、なんとか立ち直ったフィーリンが戻ってきますが、新総裁とフィーリンの間には、過去の因縁があって…。

ボリショイ・バレエ団の歴史や各関係者による証言から、それが起きた背景には、歴史的に政治の場として使われてきたボリショイ・バレエ団ならではの、金と権力をめぐる勢力争いが潜んでいたことが明らかになっていきます。

舞台に出られるのか、出られないのか。
どんな役を踊るのか。
それによって報酬が決まるので、一つひとつの舞台に生活がかかっているダンサーたち。

彼らのバレエに向き合う姿勢からは踊る喜びや楽しさよりも、「これが仕事ですから!」という、プロフェッショナルとしての矜持を感じます。

フィーリンは、元ボリショイ・バレエ団の花形ソリスト
彼が芸術監督に就任してから、実力も人気もあるベテランのダンサーたちが役から外され、若い人たちが重要な役にキャスティングされるように…。
当然、役が付かなくなってしまったダンサーたちからは不満の声があがります。

このフィーリンという人、どうも自分の理想をを追い求めるあまり、周りの人の意見に耳を貸さず、突っ走ってしまう性格のようです。

新総裁ウーリンが劇団員(ダンサーだけでなく、コーチや衣装など裏方のスタッフも含む)を集めて、これから自分がどうバレエ団を変えていきたいかを伝える場を設けたときに、総裁の意見にまったく耳をかさず、「黙ってほしい」と紳士的に頼まれているにも関わらず、自分の意見を声高に主張しようとしていたのが印象的でした。

ウーリンは政府が送り込んできた人で、彼のバックには政治的な大物たちが控えているはず。
そしてなによりフィーリンにとっては上司。
この人と上手くいかなければ、クビが飛んでもおかしくないのに、フィーリンという人は真っ向から反発するんですね…。
はたから見ていて、「空気を読もうよ〜!!」とヒヤヒヤしてしまう。

ショービジネスの世界は、表は華やかな反面、金やコネ、嫉妬など舞台裏のドロドロについてはあれこれ言われがちですが、さらにボリショイ・バレエ団は政治的な権力も絡んでくるので、より複雑です。
この状況の中、ある程度の権限を持つ者としてうまく立ち回るには、人や物事のウラを読むことが不可欠。
なのに、どうもフィーリンはそうしたことができない人のように思いました。

自分が持つ権限を周囲の状況おかまいなしに、自分のやりたいように行使する。
だから孤立するし、周りは敵ばかり。
そして、あの悲劇が…。
ということなのかな、と。

新総裁ウーリン、芸術監督フィーリン、バレエ団のコーチ、ダンサー、ボリショイ・バレエ団のファンで評論家など、証言者のメッセージで構成されているので、はっきりとしたことは語られていません。

なんとなく、どろどろとした大きな思惑が背後でいくつも蠢いていて、そのなかをうまく泳げる人だけが成功できる世界。
それだけは痛いほどわかりました。

内部がドロドロとした混沌の世界なので、バレエシーンの美しさが染みます。

新総裁の言葉、「今は"芸術"そのものの質が何よりも大切です。誰よりも実力のあるダンサーが踊り、誰よりも実力のある歌手が歌う。それを実現すればいいのです。」
これを現実のものにするのが、いかにむつかしいことか!!

「ボリショイで起こっていることは、ロシア社会の縮図なんだ」という言葉もありましたが、このドキュメンタリーで映し出されていたさまざまな現実は、程度の差はあれ日本のことでもあるのだと思います。

★Information
ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏
(2015年、イギリス)