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うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

Livre:三島由紀夫『沈める滝』(1963年、新潮文庫)

久しぶりの、三島由紀夫の純文学作品。

愛を信じない青年・昇と不感症な人妻・顕子。
二人は契約を交わし、何もないところから人工的に愛を作り出す実験を試みる…。

「これぞ、三島!」と言いたくなる、彼の文学の魅力がたっぷり詰まった作品です。
巻末に添えられている、三島の学生時代からの親友、村松剛さんの解説で言及されていますが、「何もかもが平らになって、なんでもありに、言いかえれば、なにも信じられない時代に、愛や夢、ロマンを求める、つまり物語を紡ぎ出すことは可能か?」
三島の作品はすべてこのテーマを追求しています。
彼の作品を読むと、いつも私は、すべての価値観が崩れてしまった戦争というものを経験している世代の人なのだということを強く感じます。
戦前、良しとされ賛美されていたことが、戦争に負けた途端に、悪とされ忌むべきことになってしまった。
善が悪に、光が闇に、白が黒にと、この価値観がある日を境にくるりと入れ替わる経験というのは、想像するだけでもショッキングですが、実際に身をもって体験した人の衝撃はどれほどのものがあったのか…。
三島について深く知れば知るほど、三島由紀夫の作品にも、そして本名の平岡公威個人としての生き方にも、戦争という経験が大きく影を落としていることがわかります。
そして、彼が生涯をかけて追求したテーマは、戦後という時代を生きる私たちすべてに突きつけられている問題だと思うのです。

ある程度より上の世代の方は、三島というと割腹自殺や右翼などのイメージが先行して、きちんと作品そのものが読まれていないような印象を受けますが、そうした記憶が薄れてきた今こそ、三島作品の本当の魅力や凄みが正当に評価されるようになっているのかな、と感じます。
この『沈める滝』も発表当初はそこまで評価されなかったようですが、なにも不自由なところのない、それゆえになににも対しても思い入れのない不感症な主人公・昇のキャラクターなどは、現在では珍しくなく、むしろこうした若者の方が多いのではないかとすら思うほど。
水の流れという自然を支配して、自らは超然と存在しつづける人工物ダムのような人間。
終始ひんやりした冷たさが底を流れている物語で、まるで他人事のように自分の人生を送る昇を哀しく感じました。

沈める滝 (新潮文庫)

沈める滝 (新潮文庫)