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うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

Cinema:ファブリックの女王

「ファブリックの女王」を観ました。
マリメッコの創業者、アルミ・ラティアの人生模様を描いた映画。
う〜ん、なんていったらいいのか、わからない…。
こんなにピンとこなかった映画は久しぶりです。

マリメッコのカラフルでユニークなテキスタイルを生かした、華やかな場面はきれいだし、ワクワクしました。
だって、こんなに彩り豊かで、ファッショナブルなんですよ!

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でも、映画そのものがものすごく実験的で変わったつくりで…。
アルミを主役にした舞台で、主役を演じる女優・マリアの役作りの過程を描いたドキュメンタリー風、なのにとつぜん映画っぽくなったり…、など、視点やテイストが定まらず、場面場面がブツ切れになって、どっぷり物語の世界に浸ることを拒否します。
かといって、それがなにか意図的に仕組まれた仕掛けなのかというと、そんなかんじもなく…。
肝心のアルミという人物のひととなりや、彼女の葛藤、喜怒哀楽がこちらに響いてきませんでした。

それでも、映画の中に出てきた、アルミの哲学は、今の時代にぴったりで、その前衛性にびっくり。
あまりに時代の先を行き過ぎていることに驚き、それが一番印象に残りました。
たとえば、マリメッコといえばユニークなテキスタイルを使った洋服やバッグ、またエプロンなど数々のアイテム、というイメージが浮かぶと思いますが、彼女は「私たちはライフスタイルを作っているの」とはっきり言っています。
映画の中では、そもそもアルミがマリメッコをスタートさせてから初めて開いたファッションショーで、従来の洋服のようにコルセットで女性の体を締め付けない、それでいておしゃれなよそゆきのドレスを作ったエピソードがありました。
これも、単に洋服を売っているのではなく、自分を演出する手段としての洋服を売っている、そして洋服を買うことで、その服にふさわしい、どこか素敵な場所に行きたくなる、というお客の意識の変化を表現していて印象的でした。

また、彼女が家族や経営陣から「もっと効率を求めて経営すべき。仕事中なのにおしゃべりばかりでちっとも作業が進んでいない」「従業員を家族のように扱いすぎだ。あれもこれも負担してやる必要はない」など、従業員への福利厚生を手厚くしていることを批判される場面がたびたび登場します。
そのたびに彼女は「私の理想を具現化しようと一緒に闘ってくれている仲間を愛してるの。従業員みんなを幸せにするために、私は頑張って働いているのよ」と、断固としてはねのけます。彼女にとって、マリメッコの仕事はアートそのもの、そのためには効率とかお金などで割り切ってしまうのではなく、血の通った感情ありきのものでないといけないのです。

さらにその気持ちは、工場と住居を一地域にまとめて作り、そこで皆が隣人として住みながら共に働くという共同体、マリメッコ村を作るという夢にまでふくらみますが、実現することはありませんでした。
この夢を語るアルミに、ある記者が「あなたはコミュニスト(共産主義者)ですか?」と問いかける場面がありました。
こうした彼女の夢は、「食べるために働く」「効率よく稼ぐ」というところから、「なんのために働くのか」「どのように働くか」というさらに深い、働くことが生きる意味と結びついて考えられることにシフトしている今の空気に、とても添う考えなのではないかと思います。
彼女の理想に共感する人も少なくないのではないでしょうか?

しかし、アルミの掲げた高い理想は、従業員や会社の役員にも、また会社の経営に関わっている夫をはじめとする家族からも理解されず、「誇大妄想」とばっさり切り捨てられ、深い孤独に苦しみます。

そんなピュアな理想を根底に持ちつつも、旦那さんの言動が気にくわないと、グラスに入ったワインをぶっかけたり、レコードを真っ二つに折ってしまうし、なにかあるとアルコールに頼って中毒症になっていたりと、「人としてどうよ?」なところがたっぷりなんですけれど…。
きっと人としてのスケール、エネルギー量が桁外れなんでしょうね。

これまでまったく知らなかった、マリメッコの創始者・アルミの、ユニークな哲学と人となり、生き様をほんの少しでものぞくことができたことに、ありがとうと言いたい映画でした。

★Information
ファブリックの女王
監督:ヨールン・ドンネル
(2015年、フィンランド)