うたかた日記

流れていく日々の中で感じるよしなしごとを綴ります。

多様性の時代

昨日はお仕事でお世話になっている方たちとの新年会でした。

途中からなんとなく女子会っぽい雰囲気になって、そこでは忘年会に引き続き私の「結婚したい」「でも相手が見つからない」問題の相談にのってもらう流れに…。

 

そこで言われて目からウロコだった言葉。

私:「まわりの友人はみんな結婚したり、出産したり、次のステージに行っているのに、"相手が見つからない"っていうところでいつまでもうろうろしていて…」

少し年上の女性:「それは従来的な価値観から見ればそうだけど、今は多様化の時代じゃない? 結婚、出産、子育て…。それとは違う別の生き方をしている、別の道を歩いているっていうことでもあるよね。」

 

このひと言に本当に目が醒めるような思いでした!!

そうそう、別に「みんなと同じ」ではなくても、私は私の日々を一生懸命過ごしていて、それに劣等感を覚える必要はまったくもってない。

むしろ蔑んだりしたら私自身に失礼だ。

 

それにいつの間に、結婚→出産・子育てという人生の段階を当たり前だと思っていたんでしょうか。

そうではない生き方があっても、別にいいはず。

 

自分自身のことをあまり人のことを気にしない性格だと思っていたのですが、それでも「みんなと同じがいい」と心のどこかで思っていたんですね…。

そうした自分自身に気づけたのも大きな発見でした。

 

最近、人がかけてくれた言葉に気づかされることが本当に多くて、いろいろな方の愛を感じます。

素敵な人ばかりに囲まれた私は幸せ者だなぁと思います。

 

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Theatre:国立能楽堂 一月定例公演 1/4

今年の芝居はじめ。
国立能楽堂 一月定例公演を観てきました。

 

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演目は能「老松」(金春流) 紅梅天女イロエノ働キと狂言「大黒連歌」(大蔵流)です。

 

いつもは狂言のあとに能という順番で上演されるのですが、今日は国立能楽堂の今年初めての上演ということで奉納の意味合いもあったのか、能→狂言という順番での上演でした。


能は九州・太宰府天満宮末社として祀られている老松の神と紅梅の木の精が現れて舞を舞い、御代を寿ぐ「老松」。

菅原道真にまつわる飛び梅伝説や、梅と松の話(梅は唐の時代、文学が盛んだった時はもっと色濃く香っていたため、文学を愛する木、"好文木"と呼ばれる。松は、秦の始皇帝が狩りの途中雨に降られ木陰で雨宿りした際、葉を広げ隙間を塞いで皇帝を雨から守った徳の高い木である。)が語られるなど、おめでたくありがたいエピソードが詰め込まれています。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌をとなりて 苔のむすまで」と、現在、国歌「君が代」に使われている詞章の一部も出てきました。

かつて、江戸城で年初めの能楽は「高砂」「東北」に加えて、この「老松」が上演されていたそうです。

 

小書「紅梅天女イロエノ働キ」とある特別演出で、老松の神に加えて紅梅の精が出てきて舞う、とても華やかな舞台でした。

シテ(老人、老松の神)の金春安明さん(後で調べてみたら金春流の当代でした…)が深い響きのあるとてもよいお声で聞き惚れてしまいました。

とはいうものの、祝祭色の強いおめでたい演目なので、全体的にゆったりとした雰囲気で、ところどころ眠気が…。

舞台上で笛や鼓のみの演奏が続く場面が多く、舞台になにかを下ろそうとしているような、そんな印象を受けました。


狂言の「大黒連歌」は、毎年、比叡山の大黒天に詣でている男二人が、今年も参拝して連歌を奉納すると、毎年信心深く参拝してくれること、また奉納された歌の面白さを喜んで大黒天が現れ、宝物がいっぱい詰まった袋と打ち出の小槌を与え、ご機嫌で去っていくというお話。

比叡山の大黒天は、大黒天のほか、毘沙門天と弁財天が一緒になった三面六臂大黒天という大変珍しいお姿なのですが、その縁起も語られていました。

 

狂言としてはかなり独特の雰囲気を持った作品で、大黒様の登場や男二人に祝福を与える場面で鼓や笛、謡が入り、役者以外のそうした方々は舞台の奥で輪を作って控えています。

打ち出の小槌を持って、袋を担いだ大黒天が、本当に絵に描いたような姿で舞台に登場するので、神様が現れた瞬間を目撃しているようで、大変ありがたい気持ちになりました。


新年にふさわしいおめでたい演目を観て、ありがたい気分に。

 

国立能楽堂の中も、新年のお飾りが美しくしつらえられていました。

玄関のお飾り。

 

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ロビーに飾られた鏡餅

 

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とても大きくて立派!!


お年賀として、能の演目をテーマにした特製カレンダーもいただきました。

 

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たっぷり充電できたので、今日からはじまった日常を、また新たな気持ちでがんばりたいと思います。

 

★Information

国立能楽堂 一月定例公演 1/4

 

能【金春流】 老松 紅梅天女イロエノ働キ

前シテ/老人 後シテ/老松の神 金春安明

前ツレ/男 金春憲和

後ツレ/紅梅殿 本田光洋

ワキ/梅津何某 高井松男

ワキツレ/従者 則久英志

ワキツレ/従者 梅村昌功

アイ/門前の者 善竹大二郎

笛 藤田次郎

小鼓 住駒匡彦

大鼓 柿原弘和

太鼓 桜井均

後見 櫻間金記、横山紳一

地謡は予定から変更があったため、割愛

 

狂言大蔵流】 大黒連歌
シテ/大黒天 大蔵吉次郎
アド/参詣人 善竹富太郎

アド/参詣人 大蔵教義
地謡 宮本昇、大蔵彌太郎、善竹十郎、大蔵基誠

Musee:「クラーナハ展 500年後の誘惑」 at 国立西洋美術館

2017年の美術館はじめはこちらから。

 

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ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ(父)。

彼の創作活動の全貌を明らかにするとともに、彼の作品にインスピレーションを受けて制作された後代の作品も紹介した展覧会です。

 

大きな工房を経営し、弟子たちと手分けすることで絵画を大量生産して大成功をおさめた優秀なビジネスマンであり、宗教改革ののろしをあげたマルティン・ルターと深く交友していたなど、クラーナハの人となりがまず大変興味深かったです。

 

そして、その作品。

"漆黒の闇に浮かび上がる冷たい美女"
ユディトやサロメ、ヴィーナスにルクレティア…。
名もない女性であっても、クラーナハの描く女性はそんなイメージです。
切れ長の目にすっと通った鼻、広いおでこに薄い唇の顔からはどこか理知的な印象を受けますし、極端ななで肩に小さな胸、すらっと伸びた長い手足を持つ肉体はなめらかな曲線が強調されつつもどこか中性的。
イタリアやフランスの裸体画、美人画とはまったく異なる種類の美しさです。
決してリアルではない、二次元だからこそ作り出せるあやかしの世界。
ひんやりした美女たちに魅了されました。

 

今回の展示で初めて知ったのですが、「これぞクラーナハ!」という冷たいエロティシズムに満ちた裸体画を描きはじめたのは60歳を過ぎたあたりからなんですね。

それ以前の絵はさまざまな作風のものがあり、題材や依頼主などに合わせて、柔軟に絵画制作をしていたのだなぁと思いました。

イタリア・ルネサンスの影響そのままの「聖母子」(1515年頃、ブダペスト国立西洋美術館)もありながら、車輪が大破し人々がパニックにおちいる様を強調して描いている「聖カタリナの殉教」(1508/09年頃、ラーダイ改革派教会、ブダペスト)など、独特の美意識が感じられる絵がありました。

 

とくに彼が熱心に取り組んでいたという版画作品を紹介したコーナーは、同時代を生きたアルブレヒト・デューラーの作品もあわせて展示してあるので、見比べると二人の美意識の違いがわかって面白かったです。

デューラーの作品はとにかく理知的で、線や構図が整理されていてすっきりしているので、ぱっと見て何が描いてあるのか一目瞭然。

それに比べると、クラーナハの作品は線がうねうねしていて、構図も複雑なので、よく見ないと何が描いてあるのかわからないものが多数。

その分、動きが感じられて、生々しくもあります。

 

「よくわからないけど、不思議な魅力があって惹きつけられる」

そんなクラーナハの作品には、人の心をつかんで離さない"なにか"がたっぷり潜んでいるところが魅力的でした。

 

裸婦の中の裸婦 (河出文庫)

裸婦の中の裸婦 (河出文庫)

 

 



★Information

国立西洋美術館

クラーナハ展 500年後の誘惑」

2016/10/15(土)〜2017/1/15(日)

ウィーンフィルニューイヤーコンサート2017〜指揮者ドゥダメル氏と音楽プログラム「エル・システマ」

昨日の夜、なんとなく見はじめたウィーンフィルのニューイヤーコンサートの生中継。

指揮者がクラシック音楽の場ではあまり見かけないチリチリふんわりヘアーの、気のいいあんちゃんのような雰囲気の方で、ポルカやワルツなどを自ら踊り出さんばかりにノリノリで指揮しているのに引き込まれて、最後のラデッキー行進曲まで聴いてしまいました。

ああ、楽しかった…。

 

あとで調べてみたら今年の指揮者、グスターボ・ドゥダメル氏は35歳の若さでありながら、世界の名だたるオーケストラから引っ張りだこで、"100年に1人の逸材"とも呼ばれているすごい人なんですね。

 

南米ベネズエラ出身で、音楽を学んだのは1975年から経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ主導ではじまった、音楽教育プログラム「エル・システマ」をとおして。
貧困や犯罪、暴力をなくす目的でスタートしたもので、スラムの子どもたちに無料で楽器の演奏や合唱などを教え、音楽活動の場を与えることで、音楽をとおして社会性などいろんな能力を育む機会にもなっているんだとか。

ドゥダメルさんもあまり裕福ではない家庭の出身だそう。

 

クラシック音楽はどうしても裕福な環境にいる人たちのものだというイメージが強いですが、ベネズエラではこんなすごい取り組みがされていたんですね…。

たとえ演奏家にはならなくても、音楽をとおしてこつこつ努力することを学んだり、みんなと協力して一つのものを作り上げる喜びを感じたり、なによりも目標が持てて、居場所がある。

そのことがどんなに厳しい環境で生活している子どもの心を支えてくれるか…。

 

この教育プログラムについて、本が出ていたので、機会を見つけて読みたいと思っています。

 

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡

 

 

 

なんて素敵な女性がいたものだ〜半澤鶴子さん

2017年、新しい年の1日目。

NHKETV特集アンコール、「女ひとり 70歳の茶事行脚」を観ました。

茶事は千利休が考案したものと言われ、懐石料理とお酒でのもてなしから茶席まで4時間に及ぶお茶会。

この茶事を依頼に応じて催す、出張茶事の第一人者として知られる女性、半澤鶴子さんのドキュメンタリーです。

 

半澤さんは70歳になって、茶釜などの茶事に必要な道具一切を車に積み、道中、ご縁があって出会った人を茶事に招くという旅に、春夏秋冬、季節ごとに出かけます。

番組ではその旅先での出会いと茶事の様子を追いかけていました。

 

半澤鶴子さんのやんわりした関西弁の語り、そしてお着物であれこれと立ち働く姿がとても美しいのです。

番組途中で生い立ちが語られていたのですが、幼い頃に父母と別れ(置き去りにされるような形だったようです…)、親戚に面倒を見てもらっため、誰にも甘えることができず、大変苦労されたようです。

でも、その苦労をまったく感じさせない、清らかで、時に神々しさすら覚える佇まいに魅了されました。

 

たった一人で、材料集めや献立づくり、茶席の掃除や室礼、提供する料理の調理、当日のもてなしと、茶事のすべてをこなす半澤さん。
それだけでもすごいことなのに、「ああもしてあげられたか、こうもしてあげられたかと、心残りばかりです」と仰る、その謙虚な姿勢。

こんなに愛に溢れた、素敵な方がいたなんて…。

 

春、新潟・寺泊の古い茶室で、地元の方々を招いてのスギナやヨモギなど、春の野草を使った茶事。

夏、滋賀の琵琶湖畔で、漁師さんたちを招いてのビワマスを使った茶事。

秋、京都・瑞峯院にある平成待庵で、ご住職をもてなした一対一の茶事。

岡山の農村で、80歳を超えた幼馴染の女性二人を招いた茶事。

冬、奥会津、雪の中で女子高生三人をもてなした茶事。

 

お茶の席というと、どうしても作法のことが気になり緊張して堅苦しいもの、というイメージがありますが、半澤さんの茶事はまったく別物。

みなさん、リラックスしていて、なんとも言えないいいお顔をされており、ぽつりともれる言葉のそれぞれがとても印象深かったです。

それも半澤さんのお人柄ゆえ、なのでしょうね。

"一期一会"というのがどういうことなのか、茶の湯の真髄を半澤さんのお姿をとおしてのぞかせていただいた時間だったように思います。

 

「花一輪に飼いならされて」

半澤さんが慕っている、京都・瑞峯院のご住職とのやりとりの中ででてきて、印象に残った言葉です。

 

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 ETV特集 - NHK

Livre:川上未映子『きみは赤ちゃん』(2014年、文藝春秋)

川上未映子『きみは赤ちゃん』(文藝春秋、2014年)を読み終わる。

 

その予定はないけれど、「妊娠出産ってどんなものなんだろう?」と思って手にとった一冊。
芥川賞作家の川上未映子さんが、夫である同じく作家の阿部和重さんとの間に授かったお子さんが1歳を迎えるまでの日々を綴った、出産・育児エッセイ。

出産編と産後編、大きく二つのパートに分かれているのだけど、どちらの日々もお母さんは大変!!
妊娠出産も命がけの大仕事だし、産んでからはまともに寝られない状態が続く、赤ちゃんのお世話が中心になる生活がまったなしのスタート。

マタニティーブルーから育児うつや産後クライシスなど、妊娠出産のダークサイドがさらりと、しかし結構赤裸々に綴られているので、そのしんどさ、大変さには恐れ入るばかり。
みんな、そんなに詳しくは語らないけど、こんなに大変なのね…。
こればっかりは、当事者になってみないと本当のところはわからないんだろうけど。
自分の母親もそうだし、子育て真っ最中の友人たちも、このしんどさを体験していると思うと頭が下がるし、少しでも力を貸せることがあったら協力したいと思う。

出産育児のしんどさ大変さが語られながらも、全編とおして親になったことの喜びやお子さんへの愛がじわぁ〜と溢れていて、読んでいるこちらも幸せな気持ちになった。

赤糸の刺繍を使った装丁も素敵だし、出産を控えた方にプレゼントするのもよさそう。

 

 

 

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん

 

 

 

 

Cinema:ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男〜

「ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男〜」を鑑賞。

20年近く芸術監督を務めたブリジット・ルフェーヴルの後任として、史上最年少でパリ・オペラ座の芸術監督に就任した振付家のバンジャマン・ミルピエ。
芸術監督として初めて手がけた新作「クリア、ラウド、ブライト、フォワード」の初日の幕が開くまでの40日間を追ったドキュメンタリー。

 

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ある優れた振付家がひとつの作品を生み出すまでの舞台裏が見られるとともに、若きリーダーとして伝統的な大組織を変革していく様子を追っていて、チームでのものづくり、組織づくり、部下のマネジメントなど、働く人目線で見てもいろんな示唆に富んだ内容だった。

ダンサーに独立したアーティストとして、自らのキャリアの構築やセルフプロデュースに貪欲であるよう伝えたり、怪我でキャリアを棒にふることのないよう医療制度を充実させ、休養や休暇をしっかりとらせるなど、自らの信念をもとに保守的な体制のパリ・オペラ座をばんばん変えていこうとするミルピエ。
エトワールを頂点とする階級制度を批判し、普段ならコール・ド・バレエ(群舞)でしか踊れない下の階級のダンサーや、黒人とのハーフのダンサーに主役を踊らせるなど、これまでの伝統を否定する改革に反発も強かったのか、裏方たちのストライキで幕開けの二公演が中止になるなどトラブルも…。

"常に新しい美が見たい"と、自ら音楽をかけて踊りながら振付を考えるなど、優れた芸術家で、作品の動画を特設サイトにアップして宣伝し、寄付を集めるなどビジネス感覚も持ち合わせているけど、感覚が新しすぎて、パリ・オペラ座みたいに長く培ってきたものがある巨大な組織は彼の個性に合わなくて見るからに窮屈そう。
そしてやっぱり2年の任期で就任したにも関わらず、1年で退任してしまっている。

 

映像はスローモーションやアップなどを効果的に使い、ダンスシーンがスタイリッシュでかっこよく、そして美しかった!!

振付家としてダンサーたちと楽しそうに作品を作り上げている彼の姿がとても印象的だったので、今から2017年パリ・オペラ座来日公演で彼の作品「ダフニスとクロエ」を観るのが楽しみ。

★Information

「ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男〜」

監督:ティエリー・デメジエール/アルバン・トゥルレー

2015年、フランス